。+:゚⋈根無草⋈:゚+。

28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

初めて化粧水を買ってもらった日のこと

禁煙99日目

[今日やったこと]
読書。探し物。iPhoneバックアップしようとしてパソコンがまずいことになる。野球中継を観る。
[今日の家事手伝い]
洗濯
[今日のダイエット]
○→リングフィット、エアロバイク、糖質カット米リゾット、昼は白米なし、牛乳我慢。
×→プリンとプリッツと加糖ヨーグルトを食べた。
[今日の節約]
外に出ない。

今日も何もしなかったので昔の話をする。

ビジネスホテルのアメニティに、DHCの化粧水や乳液があり、行く度にいくつか持ち帰っているうちに結構な量になった。仕事を辞めてからも家に溜まっていた分を度々消費して、先日ようやく全てなくなった。ホテルのアメニティは小分けにされているが、市販のものと中身は一緒だろう。同じ匂いのDHCの化粧水を昔付けていた。中学2年生の時に母が買ってくれたものだ。
母との買い物は、妹がいないととても静かなものだった。「これどう?」「いいんじゃない?」とか「これかわいいね」「確かに」とか、短い会話ばかりだ。盛り上がらなくて気まずいということはない。意見や感想にはお互い全面的に肯定するけど、いざ「買っちゃおうかな」と衝動買いしそうなことを言い出すと「似たようなもの持ってるし、まだ使えるじゃん」「買うほどかわいいかな」と言って制し、物欲を潰しあう。これといって不愉快に感じることはない。その証拠に、買い逃して後悔したものはひとつも思い浮かばない。それから、私が少し気になっている素振りを見せると、何を基準に判断してるのか分からないが母が「買ってあげようか?」と口を出してくる。大抵は文房具とかマグカップとかそういった雑貨類だった。そういうときは素直に買ってもらったり、ちょっと考えてから「それほどでもない」と言って断った。
DHCの化粧水を買ってもらったときは、少し経緯が異なる。中学2年生で、林間学校の持ち物をドラッグストアまで一緒に買いに行っていたときのことだった。ニキビにもそれほど悩まされていなかったのだが、急に母がスキンケアのコーナーで立ち止まって「これ買ってあげるよ」と言った。「誕生日も近いし」とのことだった。化粧水や乳液をほしいと思ったことはそれまで一度もなかったし、いつから必要なのかも全く分からなかった。ただ、誕生日だからといって欲しいものがあったわけでもなかったので、言われるがまま、その年の誕生日プレゼントは化粧水と乳液になった。
ガラス瓶には凹凸のある模様が施されていて、見ているだけで嬉しくなったし、ガラスだからか少し緊張もした。14歳の肌では化粧水の効果の実感はよく分からなかったけど、あの匂いだけは今でも覚えている。他の化粧水と比べても少し値が張ることは、大学生になってから知った。
高校に上がる頃になって、今度はオルビスのショップで化粧水の買い替えに付き合っていたところ、急に「マニキュア買ってあげるよ」と母が言い出し、迷う隙も与えずに「何色がいい?」と訊かれた。とりあえず何色が妥当なのか分からなかったので、自爪の色に近いピンクに細かいラメが入ってるものを選んだ。選ぶと畳み掛けるように「あとはいいの?」と訊かれたので、前から少し気になっていたフレンチネイルを試してみたくて、また自爪と違和感のない白に、細かいラメの入ったものを選んだ。普通のマニキュアで自分でフレンチネイルにするには、かなりの技術がいる。このことを知ったのは帰ってきてからだ。ピンクのマニキュアは長期の休みのときにたまに塗っていたが、白のマニキュアは出番がなく、長く鏡台の前に放置されていた。ときどき、ラメが沈みオイルが分離していることに気付いて、ひっくり返したりした。マニキュアを混ぜるために銀色の玉が中に入れられていることを、そのとき初めて知った。それが動くと、細かい粒子の乱反射がより騒がしくなる。ほとんど使うことはなかったけど、そのマニキュアの白が「ホワイト」ではなく「ミルキーウェイ」と名付けられていたことを、今でも覚えている。
高校2年生の夏の終わりに、また一緒に買い物に行った。本来の目的は覚えていないが、ロフトのようなバラエティショップに立ち寄った。何かの折に「花王のWhite(固形石鹸)の匂いが好きなんだ」という話を母にしていたのは覚えている。ボディコロンのコーナーで、石鹸の匂いを謳っている商品を試していたら、その日も母が「買ってあげるよ」と言ってきた。私は花王のWhiteと全く同じ匂いの香水を探し回っていたのだが、買ってあげるよの一言で、あっさり妥協することにした。フィアンセのボディミストだった。安物だが、かなり長いこと愛用することになった。
高校2年くらいには、期末テストの返却が終わってから長期休みに入るまでの短い期間だけ、ほんの少し化粧をして学校に行っていた。キャンメイクのチークと透明マスカラをつける程度の、ささやかなものだった。周りの友達にはフルメイクでグロスはDior、香水はニナ・リッチという子もいたが、あまり若いうちから肌を痛めつけるのは良くないと私は思っていた。それでも多少、スキンケアや化粧品類を手に取るハードルは下がっていたと思う。母が買ってあげるよと言ってくれていなかったら、私は今よりさらに垢抜けない女になっていただろう。
大学に入ってからドラッグストアでバイトを始め、周りの友達がデパコスの話で盛り上がるのを聞くようになってから、実家に置いてあるスキンケア用品がそんなに高くないもので揃えられていることに気付いた。通販やデパコスのものは何ひとつなく、ドラッグストアの5大メーカーのものすら置かれていない。
私は今年で28歳になる。このところ、デパコスのアイシャドウや口紅や洗顔料を使用するようになった。確かに高くて新しいものは、質が良くて感動する。しかしその気持ちは長続きしない。どんなに新しいものに手を出しても、すぐに新鮮さが薄まることを知っている。
できればもう一度、母に連れられて、買ってあげようかと言ってもらいたい。しかし、ガラス瓶の前で緊張したり、ミルキーウェイの煌めきの流動に心を奪われたり、そういったものがどこにも売っていないことももちろん私は知っている。
母は今日もハトムギ化粧水をつけている。私はいつものように、クロエの香水をつけて寝る。


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