。+:゚⋈根無草⋈:゚+。

28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

あまりにも深追いした心理療法は、オカルトと見分けがつかない

禁煙92日目

[今日やったこと]
野球中継を観る。読書。録画してた番組を観る。漫画読む。
[今日の家事手伝い]
店番2時間。
[今日のダイエット]
○→リングフィット。エアロバイク。夜の空腹時はヨーグルトと炭酸水。
×→おやつを食べた。牛乳を3杯飲んだ(が、賞味期限が6日過ぎているので私が飲まざるを得ない)。
[今日の節約]
外に出ない

ダイエット、昨日までは自己肯定感を高めるためにできたことしか書かなかったが、急を要するのでできなかったことも書いておこうと思う。油断していたらまたBMIが19.8になってしまった。外に出ていないから筋力は確実に落ちている。BMI18台とは言わないが、せめて19.5以下にしたい。プチ断食とかするべきなんだろうか。
カウンセリングを受けてからわりとメンタルがダメージを負っていたが、今日はそこそこ調子が良くなった。野球は勝てる気がしなかったので、中継を観ながら漫画を読んだりエアロバイクを漕いだりした。

これと言って特筆するべきことは起きなかったので、もう書くことがない。こんなニートのブログなのに、日に40アクセスくらいはくる。なぜだろう。よく分からない。今日で198記事目くらいになるだろうが、何も起きなかった日に語るネタはもうない。

最近読んでいる本の話でもする。

読むのがクソ遅いので4月頭から読み始めてまだ半分過ぎなのだが、『トラウマによる解離からの回復ーー断片化された「わたしたち」を癒す』という本を読んでいる。トラウマセラピーのセラピスト向けの本だが、クライアント側が読んでも為になるという話をツイッターで聞きつけて読んでる次第である。
最初は脳科学の話をしていたので、なるほどーと思いながら付箋を貼りつつ読んでいたのだが、やはりこの手の本はトラウマの中でも複雑性トラウマ(幼少期に繰り返された虐待)がメインになるし、中盤以降は完全にDID(解離性同一性障害)の話になるので、私のケースとは全然違うなと感じて、200頁くらいまで読んだけどわりと苦痛である。
セラピーの内容とは、自分の中にいる分化された幼い自分と対話し、癒してあげるというものである。分かりやすく言うと「自分の中に天使と悪魔がいて、各々語りかけてくる」という表現があるが、自分の中にそういう語りかけて操作してくる自分がたくさんいて、それぞれのパーツに名前をつけ、それらをコントロールするというものだ。自分でこう説明してると分かる気がしてしまう。実はあまり理解していない。
自分に語りかけてくるパーツがたくさんある、というのは理解できる。すぐに「おまえなんか死ねばいいのに」と言ってくるやつと「生産性がなくても、有害であっても、死ぬべきではない」と言ってくるやつが自分の中にいる。後者はよく消えるが。
ただ、それに語りかけて癒すというのが全くよく分からない。どうも本に書かれているセッションの例では「幼い彼を抱きしめてみて。温かさを感じられる?」「最高だ。彼を抱きしめるのはとても気持ちがいい」というやりとりがかなりの数ある。言うまでもなく幼い彼というのはクライアントの内部の幼い頃の自分である。抱きしめるって何……?実態がないのに……?
DIDはまだ分かる。体はひとつなのに人格がいくつかあって統制がとれていないという状況なら、各人格に語りかけて協力してもらうというのは分かるのだけど、人格内部にアプローチをかけて分かり合うというのがよく分からない。頭の中の天使と悪魔なら、選択の場面での葛藤として出てくるわけだし、「死ね」「死ぬな」のやりとりも衝動を諌めるために出てくるやつなので、分かりあうことはないのだ。とすると、多分だけど私がさっき分かりやすく説明した気になってる部分は、解釈が間違っていた気がする。
それにしても抱きしめるってなんなんだ。分からなすぎてオカルトの域に括ってしまいそうだ。最近の本で翻訳されたものだからかそのワードが出てこないのだが、流行りの言葉で言うと「インナーチャイルド」と「アダルトチルドレン」の話をしている。こう表現すると一気に胡散臭さが増す。
神はいるかとか、天国はあるかとか、それは捉え方の問題だから別に否定はしない。壁のシミを友達として毎晩語りかけても別に良い。私も最近は矯正しかけているけど、時間の流れは螺旋状だと捉えている。これは他人から「時間は直線にしか進まないから!」といくら諭されても、自分の中ではそういう形になっているので仕方ないと思う。捉え方の問題である。が、「神から啓示を受けた」とか「毎晩語りかけてたら壁のシミから返事があった」となると、大きく一線を超えてきたなと思う。なんというか、ないはずの実体が現れたという気がしてくる。だから「幼い自分を抱きしめる」というのも比喩ではなくて、実体がある感じに表現されると、私はこの先には進むことができないと思う。

とは言え、私の感性が鈍いだけ、という可能性もある。
私が受けている治療も、私には実感の掴みづらいものだし、一歩踏み外すとオカルトに片足を突っ込むような気がする。
具体的な治療法は、一点を見つめてひたすら思い出す、というものだ。カウンセラーが持ってくれる指示棒の先を見つめる。ただ、嫌な気分になりやすい視線の位置とか、安心できる視線の位置が人それぞれで、それを探すのにかなり難航した。「ここは嫌な感じしますか?」とか言われても、あまりよく分からない。不愉快な感じがする位置だと、つい手をいじったり足を動かしたり呼吸が乱れたりするのだが、もともと多動気味な性格なのでより分かりづらい。そんな気がするような気がするかも知れないと思う、くらいの不確かさで定点を決めている。不愉快な感じのする位置で思い出したら、安心できる位置に視線を移動させてぼーっとする。
このセラピーを何度か受けた後に、ネットで同じ療法を受けてる人の記事を読んだが「わー!すごい!辛かった記憶が!どんどん処理されていく!」というテンションだったので、あまり実感の得られない私は「そう思わされてるだけだろ!」と言いたくなった。
しかし、何度目かのカウンセリングで「竹ノ塚さんは正面に座られると緊張してしまうようなので、座る位置をずらしましょう」ということになり、比較的安全だと感じる気がする右斜め前にカウンセラーに座ってもらったら、緊張が明らかに和らいだ。それから、何のために今日来たんだろうと思うほど進捗のなかったカウンセリングの日でも、帰ってみたら嘘みたいにイライラが治まっていたりしたので、効果はあるのだと思う。ただ、誰かが記事で書いていたように、定点を見つめて思い出している最中に「処理が進んでいくー!」となるほどの実感は分からない。
自分で説明していても、ちょっとオカルトっぽさがあるなと思う。メジャーな治療法ではないし。

オカルトと言えば、美容系の単語も実感ができないという点では当てはまる部分がある気がする。特に肌に関しては認識できないものが多い。ハリとつやは最近見えてきたのだが、透明感って何?ちなみに自分には透明感があるらしい。まあ確かに、去年邪魔なホクロはぜんぶとったし、まぶたの皮膚が薄くて毛細血管がよく見えるのだけど、多分そのことではないのだろう。ではどこを見て透明感があると言っているのだろう。自分が認識できてないものを他人が「ある」と言って褒め称えてくれると、ちょっと天才主人公の気分になってくる。
少し前までは肌の色の違いが分からなかった。パーソナルカラーのことである。青寄りのベージュと、黄寄りのベージュがあるというのは、色の勉強を少しかじったので理屈の上では分かる。でも、人間の肌に当てはまるのか。どこを見れば良いのか。ネットには、黒目の縁が黒かったらブルーベース、茶色だったらイエローベース、手首の血管が青くみえたらブルーベース、緑だったらイエローベースなどと書いてはあるが、自分がどっちに当てはまるのか全然分からなかったし、分かるまでほんの少しオカルトだと思っていた。
写真家の青山裕企さんの写真集で、何人かの女の子と私が並んでる写真を見て、ようやく肌の色の違いが分かった。なんなら私だけわりと色が違った。色鉛筆で塗るなら、他の子は肌色とオレンジと赤茶色を混ぜるが、私の肌の色は焦茶色を薄く塗っていくとそれっぽくなる、という感じだ。あまり色味がない。のちにしっかりとパーソナルカラー診断をしたところ、ブルーベースウィンターのクリアカラーということが分かった。私の中ではもうパーソナルカラーはオカルトではない。

ネタがないとか言ってから3000字くらい経ってしまった。まあ、何も充実感のない日はせめてブログくらいしっかり書ければいいと思う。
今日も本読んで寝る。あと100頁か……。