承認欲求と自己肯定感のバランスが全く取れねえ
退職まであと64日
勤労感謝の日らしいが出勤。帰りに日高屋で豚骨ラーメンが食べたかったのに、祝日だから23時には閉まっていた。誰か私に感謝してほしい。
終電まで仕事をしていたけど、帰りの電車はずっとアニメを観ていたし、帰ってからは久々にピアノを弾いた。ここのところまた承認欲求と自己肯定感のバランスが保てなくなっている。あと多分だけど、日記を書くことからちょっと逃げようとし始めている。
8月の終わりに家にピアノが届いた。しばらくピアノを弾くことにハマってて、睡眠時間を削ってまで弾いてた。そのうち誰かに披露したいななんて思ってたけど、録音したものを人に送りつけるなどをしてるうちに、やっぱりこの趣味は自分一人の中に留めておくべきだと思い直して、なんだか張り合いがなくなって、毎日弾くのを辞めた。
上達が目に見えて分かるし、一曲を完璧に弾くことを目標にしていればゴールは明確。昨日弾けなかったところが、今日やってみたら一発で弾けたりするので、自分は天才なんじゃないかと思う。自己肯定感爆上がり。ただこれは、自分の中で昨日の自分と比べたら、という物差しで得られた自己肯定感だ。
ちょっと誰かに公開してみたら、ピアノを習ってた頃の嫌な記憶を思い出してしまった。他人に披露すると他人と比べられるのだった。そりゃyoutube観てもTwitter観ても、上手い上パフォーマンスとしても映える人がたくさんいる。そういう人たちと比べたら、私、楽譜通り弾くのが精一杯だし、キャッチーなパフォーマンスができるわけでもないし、公開しても誰にも面白く思われないだろうなと思った。
ピアニストは初見の楽譜を見ながら一通り弾くことができるようだけど、私は全部を一通り弾くことさえ数日かかる。昨日より今日の方ができるようになったというのは自己肯定感上がるけど、他人から見たらその過程なんてどうでもいいもんな、と思うと、私は何をしてるんだろうという気分になる。頑張ってテストで80点取れるようになっても、求められてるのは100点。だから80点取ったって頑張ってないことになる。
みたいなことを考えるからネガティブなんだろうな、常に。
そういう考え方の癖があるから、他人の評価を軸にするのは良くない。いつまで経っても承認欲求は満たされない。だからもういっそ、公開は極力しない方向で行こうと思った。練習量に対して承認欲求のコスパが悪すぎる。まだ文章書いてる方がマシ。コスパがいい。上手いとか面白いとかの基準が個人によってばらつきがあるからだ。
ピアノは10人中10人が苦笑しながら「うまいね」って言ってくれるようなものだけど、文章なら10人中1人くらい「わりと好き」と言ってくれる。
こうしてブログを書くようになった。
ブログは良い。たまに面白かったって言ってもらえる。でも問題が一個ある。承認欲求は満たされても、自己肯定感があまり上がらない。完成度のゴールが全くないからだ。せいぜい毎日書く、というのがゴールで、どのくらい内容を詰められたから合格とかはない。それが最近少しキツい。
今日ちょっとピアノを弾いたら、自己肯定感爆上がりした。どっちもやるのがいいのかもしれない。ピアノもブログも。
ただ、睡眠座間がどんどん削れる。ここのところ「書き切るまで寝ない」という意思のせいで寝不足だ。ピアノにハマってた頃は「ここまで弾けるようになるまで寝ない」などとやっていたので、これを両方こなすことになると、本当に睡眠時間が足りない。
もう少し自分のことを許せばいいのに、とよく思う。
眠すぎる。眠いと文章粗くなるけど、完成させることの方が大事。