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28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

おばあちゃんち

今週に入ってまた咳がぶり返してきて、PCRで陰性が出たのは良いのだがいかんせん電車に乗ると気まずくて仕方ない。先週より疲れやすいのは、暑さと生理のせいもあると思う。来週は野球観戦に、再来週は地元の祭りの手伝い、その翌週は北海道旅行を控えているので、なんとか体力は戻したいところだ。

今年、生まれて初めて、お盆休みというものをちゃんと体験してみようと思う。前職は販売だったのでお盆なんて概念はそもそもなかったし、生まれてから大学を卒業するまでも実家が飲食店なので、お盆だから休みだの、親の実家に帰るだの、そういったことはなかった。
「お盆におばあちゃんちに行く」という典型的な行い対して、だいぶ大きくなってから憧れを抱くようになった。広い日本家屋で、照明が乏しく、水は美味しく、山で蝉が鳴いている。そんな憧れのおばあちゃんち。実際の祖父母の家はそのイメージとだいぶかけ離れていた。
父方の祖父母は今も同居していて、私が小学3年生になるまで、母方の祖父母も同じ市内にいた。電車で一駅。歩いても3キロの距離にある。土曜日は家が忙しいので、幼稚園の頃からよく祖父母の家に預けられていた。
駅前の好立地にある公営アパートの404号室がおばあちゃんちだった。その公営アパートがまあボロくて、廊下はいつもカビ臭く、全体的にうっすら苔が生えて緑色になっていた。
日当たりは抜群に良いが、2DKで6畳ほどの和室が2部屋。母が結婚するまでは、この狭さに祖父母と母と母の弟の4人が住んでいて、耳の垂れたヨークシャテリアを飼っていた。私はこの圧迫感では暮らせない。
アパートの周辺は工業団地だ。夜になると暴走族が大通りを走り回るので、泊まりに行くと全然眠れなかった。小学生になるまでは、そこが工業団地であることを知らなかった。工業団地というものは煙突がいくつも立ち並んでいて、黒い煙をたなびかせていたり、リズミカルに金属を打つ音がずっと響いているイメージだが、そこは昼間はとても静かな場所だった。会社の敷地がどこも広く、社屋は巨大なケーキの箱に窓と入り口をつけたようなシンプルで清潔な造りで、テニスコートを構えている会社もあった。
テニスの様子を道端から間近に見ることができるのだが、よく緑色のフェンスの穴にテニスボールが挟まっていた。今思うとあれはおそらく意図的に挟ませているのだろうが、祖母は「これはチャー(犬)のおもちゃ」と言いながら引っこ抜いて持ち帰っていた。あのボロいアパートの狭い玄関にはいつも20個ほどテニスボールがあって、犬の散歩のときは持って行って遊んでいた。そのテニスボールはいつもこのようにして調達していたのだ。当時は「ふーん、そういうものなんだ」と思っていたが、今思い直すとあれはダメなやつだ。
どきどき祖母はママチャリの荷台に私を座らせて、無茶な2人乗りをしてスーパーに行ったりしていた。「自転車のここの輪っかに足入れると、足切れるからね」と乗る前にいつも脅された。学校では自転車の2人乗りは禁止と言われていたし、足が切れる輪っかがどれのことなのかよく分からないまま乗っていたのでかなり緊張した。しかも祖母は平気で信号無視をするし、「おまわりさん来た」と言って急に曲がり角に入ったりする。
そして連れてこられるスーパーは、強盗殺人事件があったスーパーか、駐輪場から全焼して黒焦げの骨組みだけになった家がよく見えるスーパーの2択だった。記憶の中では。そんな感じなので、祖母とスーパーに行くのはとても憂鬱なイベントだった。
「お盆におばあちゃんちに行ってきた」という子たちのおばあちゃんちのことを、勝手に「ぼくのなつやすみ」に出てくるような家として想像していたのだけど、実際はどうなのだろう。案外マンションだったりするだろうか。とは言え、私の記憶にある2DKの祖父母の家より狭いということはないだろう。
旅行の計画で宿を探すと、最近はエアビーで日本家屋一棟貸し出しなんていうプランもあったりして、理想のおばあちゃんちの風景を堪能できるようだ。まあ今回はお盆ということもあり割高なので泊まれないのだけど、いつかそういうところに泊まってみたい。


……VRぼくのなつやすみがあったら買うんだけどなあ。