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28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

カウンセリングのこと 原因について

退職まであと4日

 

頭痛で目覚めてしまい、鎮痛剤を切らしており、一日中酷い寝不足だった。

久々にゆっくり考える時間ができた。通勤時間が90分あると色々考えられる。ただ、寝不足のせいなのかろくなことは考えられない。

 

カウンセリングでの治療について色々考えてみた。わたしが治したいのはPTSDなのだけど、似たような状況、似たような症状の人がなかなかネットの体験談なんかでも見つからない。そもそも自分がPTSDなのかすら私はまだ疑っている。診断が下るわけではないが、PTSDに近い状態であればそれなりの治療法があるから、効率的に短時間で治せるという。そもそも、PTSDになると、その出来事のことを言葉で表すことができない状態がほとんどで、言語化することが第一歩らしい。その点私はわりと言語化していて、結構色んなところに書き散らかしていると思う。足りないんだろうか。

それから、自分の気持ちが分からない、解離という状態に私もなっているらしいのだが、私は自分の気持ちが分かってないのか? 自分で分かってるつもりなのに、他人からできてないと言われるととても混乱する。みんなもっと自分の気持ちっていうのは激しく持っているものなのか? たしかに私はあまり怒らないし好奇心もないし、感受性が乏しい方だとは思う。それでも平均ちょい下くらいだと思ってた。口下手なせいだけではないのか? 自分の気持ちを抑え込む癖があるらしい。正常な状態が分からない。

なぜ自分の気持ちを抑え込む癖があるのかだけど、幼少期の親との接し方に問題があるらしい。こういう時だいたい親との接し方が原因のようだ。愛されていたんだけどなあ。反抗期もなくて、育てやすいと言われてた。めちゃくちゃ愛されてたんだけどなあ。

たまに母が夢に出てくる。いつもそうなんだけど、夢の中の母は、私が話しかけても全く反応してくれない。私なんて見えてないかのように振る舞われる。その点、過去の親との接し方のヒントがあるような気がする。小さい頃は無視されたことなんてほとんどなかった。

思い当たる節があるとしたら、まだ一人っ子だった頃、夜中に両親が仕事に行ってしまって、一人でハイジを観ながら帰ってくるのをずっと待ってたこと。心細かった記憶がある。4歳くらいだ。それから5歳半で病気になった時、母は悪阻が一番辛い時期だった。かまってあげられなくてごめんねとよく言ってた。病院へは父が連れて行ってくれた。母は立ち上がることすらままならなかったから、私に構うどころではなかった。

もしそれが親子関係の歪みだとするなら、もうこれ以上はどうすることもできないと思う。家業を手伝わなくてはならないし、悪阻は生理現象なので仕方ない。心細いからって甘えている場合ではない。仕方ないのも愛されているのも、充分わかってる。これ以上求めて、それに充分応えられてこそ親なのだとしたら、誰も親になれないだろう。

まあ、気持ちの癖の原因が分かろうが分からなかろうが、PTSDを治療することはできるらしいので、あまり親のことは責めずにカウンセリング続けられたらと思う。

問題は、実家に帰るくせに、実家に治療のことを一切打ち明けてないことなんだけど……。まあなるようになるか……。