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28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

年賀状仕分けバイトの思い出

退職まであと46日

 

この時期になると、大学2年の12月に年賀状の仕分けのバイトを短期でやっていたことを思い出す。夏に薬局のバイトを辞めてから貯金が減り続けていたのと、暇すぎるという理由で高校生に混じってバイトしていた。暇だなんていつから口にしてないだろう。

もうあまり詳しいことは覚えていないけど、基本的な仕分け作業は、市内で回収した年賀状を全国に振り分けるために大きな機械の前を行ったり来たりすることと、全国から集められてきた年賀状を細かい市区町村に分ける作業だった。高校生たちは友達連れでバイトしていたが、私は知り合いもいないし、作業中はみんな話したりせず黙々と作業していたから、あんまり面白みはなかった。バイトの前は小説を読んだり書いたりして待機室で過ごして、その続きを作業中に書いていると、町田市に送る年賀状を神奈川県の棚の前でしばらく探してしまったりしていた。毎日5時間の作業だったが、単純作業はわりと苦痛だった。たまに年賀状を読んだりしたけど、似たような近況報告ばかり。小学生の女の子の年賀状は大体立体のシールやペンでデコレーションされていた。装飾の過剰な年賀状は機械で自動振り分けができないから、別枠に送られる。紙がくっついていたりすると、それを手作業で剥がしたりするのに人手が一人必要になる。

バイトは総勢20名くらいでやっていたと思うが、機械が通さない年賀状を手作業で仕分けたりするのは日に1人か2人だった。私も一回その当番になった。市内で集められた年賀状で、全国に振り分けるための機械に入らないほど、反り返ってしまってるものだった。印刷の具合が悪かったのだろう。全て差出人は同じで、真ん中に大きな富士山の写真。かなりの枚数あったが、律儀にもその全てに左下に一言添えてあった。棍棒で伸ばしながら、その一言一言を読んでいった。年賀状程度しか挨拶の機会のないような人には無難な言葉が添えられていた。差出人には家族がいないのかわからないが、自分の近況報告は一切なかった。仕事仲間を気遣う言葉が続いた。どれもこれもネガティブだった。「世間の風当たりは強いですが」「心身の健康を祈ります」「今は大変な時期ですがお互い頑張りましょう」読み進めているうちに、差出人はその年に不祥事を起こしたインフラ系の大企業の社員だと分かってきた。壮大な富士山と青空の写真に対して、味気ないサインペンで小さく記されていた。一言二言しか書かれていないが、相手との距離感や関係性がわかる。年賀状で暗いことを言える仲っていいなと思った。

年末になると、あの年賀状の差出人の仕事はそろそろ落ち着いたかな、幸せにやってるかなと思う。まだ同じ仕事をしているのだとしたら、今年も大変な年だっただろうし、きっと来年も苦しいだろう。今年また、年賀状にネガティブなことを書いてるかも知れない。