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28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

旅行2日目 軍艦島

禁煙128日目

[今日やったこと]
軍艦島に行く。グラバー園に行く。佐世保バーガーを食べる。


今日はついに軍艦島に行ってきた。
軍艦島について知らない人は、私が語ると長くなるのでWikipediaを読んでほしい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/端島_(長崎県)
端的に言うと「炭鉱で栄えた島。高度経済成長期には島民5000人を突破し、人口密度は世界一、未だその記録を破られていないほどかつて賑わっていた。1974年に国のエネルギー転換政策の煽りを閉山となり、その後わずか3ヶ月で島民全員が撤退したあと、長らく無人島となっていた。当時の風景がそのまま廃墟化しているということで廃墟マニアの中では有名だった。2009年から上陸が可能に。2015年に島の一部が世界遺産に登録された」とここまで説明すればとりあえず大丈夫だろう。
2009年にビレバンで写真集を見つけたときから、いつか行ってみたいとずっと思っていた。近年では台風のたびに大きく崩落が進み、崩れ去るのも時間の問題で、気が気ではなかった。会社はなかなか3連休が取れないし、取れたとしても仕事に間に合うように飛行機に乗れない可能性を考えるとなかなか踏み出せなかった。

前置きが長い。

午前中は軍艦島デジタルミュージアムというところで写真や模型やVRを使って、昔の軍艦島の再現を色んな方向から見た。
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これは3000枚の写真をコラージュして、幅30mの壁に映し出された映像。当時の軍艦島の生活の様子などがよく分かる。
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当時の家の再現。昭和の三種の神器は、本土では普及率10%だったのに対し、軍艦島では普及率100%である。炭鉱の仕事はリスクがある分高給である。家は鉄コンの高層アパートだが、6畳に家族6人なんかで住んでいるので、手狭もいいところ。
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一番有名な30号棟の模型。日本最古の高層鉄コンアパートである。大正時代に建てられた。
ちなみにこのくらいのスピードで崩壊が進んでいる。
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台風の度に削られている。建物は崩れるし、見学通路の修繕にも時間を要するので、夏以降はしばらく行けないと思った方がいい。だから私は、6月中に行かなければと焦っていたのだった。
他にもVRなどで島全体を見たりすることができる。コロナ対策で、マスクをつけたまま、視力が悪いのでメガネもつけたまま、ゴーグルが直接肌に触れないように目の部分だけくり抜かれたアイマスクのようなものをつける。頭はシャワーキャップみたいなものをかぶる。それからVRゴーグルをつける。多分はたから見たらなんだこいつとなると思う。平日午前ということもあり、ミュージアムにくる客もまばらだった。幸い私は一人だし、自分に見えてないものはないもの同然と思っているので気にしないことにした。旅は人を大胆にする。ちなみにその格好で館内をうろうろしたり、エアロバイクみたいなものに乗ってひたすらペダルを漕いだり、他の人には見えていない敵と戦ってリモコンをぶん回したりしていた。最新技術すごい。
ちなみにこのミュージアムで案内してくれる人は軍艦島出身。しかも一番人口の多かった65号棟ではなく30号棟の方らしい。

午後に桟橋に向かい、船に乗った。
船から軍艦島内の案内も、元島民の人。さっきミュージアムで案内してくれた人のひとつ下の階に住んでいたらしい。6畳に7人で暮らしていたが、狭すぎて押し入れで寝ていたという。
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造船所がたくさんある。ダイヤモンド・プリンセス号も長崎で造られている。
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軍艦島に着くまでの間に島がいくつかある。関東育ちだから、本島からすぐ近くにたくさん島があるという光景が新鮮。人が住んでいる。よく見ると車も走っている。歴史的に貴重な建物もあるのだけど、肉眼だとなかなか見えない。
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ようやく見えてきた。写真で散々見てきたので、すぐに分かった。シルエットが軍艦に似ているから軍艦島と呼ばれている。
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ここからは島の周りを一周するので、デッキに出てひたすら写真を撮る。揺れるのでうっかり指が写っている。
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緑が所々に見えるけど、実際に生活していた頃は全く草木がなく、子どもたちに植物の育ち方を教えるために、屋上に菜園を作っていたという。無人島になってから、鳥のフンで植物の種が持ち込まれ、繁殖した。
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上陸。
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だいぶ崩れている。
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上の方にあるのは三菱のお偉いさんの住む建物。3LDKあった。子どもがピンポンダッシュして遊んだらしい。
そのほかの高層アパートの住民は風呂は共同。炭鉱事業従事者用の風呂は海水をそのまま使用し、仕事終わりに服のまま入浴していて常に浴槽が真っ黒だったとのこと。トイレも共同だ。もちろん海に垂れ流しだ。ゴミに関しては、高層アパートの各階にダストボックスが設けられており、そのまま焼却炉に入る様な作りになっている。建物の作りとしては最新鋭だった。それ以外のゴミは海に捨てていた。海がゴミでいっぱいになると、反対側の海に捨てた。砂浜のない島だが、子どもたちは護岸やコンクリートを伝って下に降り、飛び込んだりして遊んでいた。映像で見たが、波は強いし、近くに岩はあるし、かなり危険に見えた。遊泳禁止の看板はある。
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30号棟。真ん中に6m四方の吹き抜けがある。写真集ではその吹き抜けからドローンを飛ばして撮影したものが結構あったが、おそらくもう入れないのではないだろうか。ドローンも規制が厳しくなった。
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保護されている階段。ちなみに世界遺産として登録されているのは一部で、劣化が進みすぎているので修繕が困難な箇所の方が多い。
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瓦礫だらけ。最初は25日に行こうと思っていたのだが、25日から瓦礫の撤去作業で第二第三見学所が利用できないとのことだった。ということは旅行を前倒しすれば、瓦礫がたくさんあるということか、と思ったのだが、撤去するべき瓦礫とそうでない瓦礫の差がわからない。撤去が必要と聞いて、歩道に干渉しているイメージだったが。

火葬場と墓以外は全てあると言われていた。ここにあった映画館は本土より封切りが早く、長崎本土からわざわざ観に来る人もいたようだ。スナックやパチンコ屋もあった。明治時代に三菱が鍋島藩からこの島を買い取り、以来1974年の閉山まで三菱の炭鉱事業は続いた。
一度炭鉱で爆発事故があり、閉山が噂されたが、三菱は島民を引き止めるためにインフラ整備により力を入れ、企業の丈夫さをアピールした。パチンコ屋はその時にできた。従業員がパチンコにのめり込み仕事に来なくなったので、三菱が問題視し、パチンコ屋はまもなく閉店したが、地下の目立たないところで再開された。
警察もいたし、牢屋もあった。犯罪率はとても低く、牢屋は酒癖の悪い人が一晩お灸を据えられるために使われることが多かったという。本当に犯罪率が低かったのか、強制労働がなかったのかは分からない。閉山から50年近く経とうとしている。実際の島の様子を覚えている人も、だいぶ高齢になっている。
島になんでもあると言っても、波が荒れて船が往来できない日が続くと、学校の給食が乾パンになった。地下には巨大な備蓄庫があるらしいが、島民が5000人を超えているので、あまり安心していられなかったらしい。
台風の度に護岸が崩れたり、商店街が破壊されたりした。できたばかりの桟橋も波に飲まれた。その度に修繕し、もっと丈夫なものに変えていった。今はもう、それを作り替える人もいない。多分このまま、色んな人工物が少しずつ土に還っていくのだろう。島そのものが、明治の産業革命から昭和のエネルギー転換政策までの栄枯盛衰を物語っている。人間の寿命は80年くらい。30号棟は100年を少し超えたところだ。どんな遺跡も、人の手が入らなければ植物に覆われてくる。自然の時間感覚と、人間の時間感覚が、全く違うものであることを思い知らされる。文化の移ろいや人間の寿命なんて、自然からすればほんの一瞬に過ぎない。人間が木を切り、海を埋めても、自然はいつか必ずそれを取り戻しに来る。人間は自然の長い歴史の途中で、ほんの少しこの世界を間借りしているだけの存在だと思う。
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本島に戻ります。さよなら軍艦島。またいつか来られたとしても、お互い今と同じ姿ではないでしょう。来られてよかった。