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28歳独身フリーター、竹ノ塚ツブ子。夢なし!目標なし!彼氏なし!実家暮らし!人生暇つぶし!

妹の誕生日

退職まであと55日

 

昼間はどんより曇っていたけど、夜は空が澄んでいて寒い。流星群が見える時期と聞いて見上げたけど、眼鏡の度が合わないせいか、月が明るすぎるのか、星すら見えなかった。

昔、流れ星を見るために、家族みんなで屋上に布団を敷いて寝たことがある。25年ほど前のことだから、まだ周りにはそんなに高い建物はなくて、空が広かった。やたら寒かったのを覚えている。今日と同じくらいの時期で、あの頃は家の喫茶店も23時までの営業だったから、流れ星を見たのは深夜だったはずだ。ブルーシートを敷いて、布団を敷いて、毛布を何枚かかけていた。流れ星は全然流れなかった。祖父母と両親と私。妹がいなかったから、あれは私が6歳になる前の記憶だとわかる。

 

私と妹は6歳離れている。一人っ子だった記憶は結構あって、兄弟姉妹で遊んだりしている友達を見て、私も猛烈に妹か弟が欲しがったのを覚えている。

ちなみに母親が悪阻に苦しんでいる姿をかなり鮮明に覚えているので、妊娠しても産休期間まで仕事を続ける人を見ると、本当にすごいと思う。母は何も食べられずにずっと横になっていたので。

そんなこんなで、ようやく私が脱一人っ子できたのは、1999年12月3日だった。妊娠している母の記憶もあれば、乳児がどんな様子なのかという記憶もしっかりある。ベビーベッドに貼られた、筆書きの妹の名前とか、授乳の夢を見ているのか寝ながら口を動かしている様子とか、寝返りを打ち這いつくばるようになり起き上がるまでとか。

母は私の乳幼児の頃と妹をよく比べた。6歳になるまでも何かにつけて「あんたは手のかからない子ね」と言っていたけど、妹が産まれてからはさらにそれを口にする回数が増えた。妹は人見知りが激しく、アトピーで肌も弱かった。4歳くらいになるとそれらは治ってきたけど、我が強くよく母に怒られていた。姉の役割としてそういうときは慰めに行くべきだったんだろうけど、いやそれはおまえが悪い、と思って特に何の助け船も出さなかった。ただ、一番姉妹仲が良かったのは、私が9〜10歳の頃だったと思う。

6歳離れていると、言語の習得レベルとか精神年齢の格差がありすぎて、会話が成立しない。一緒に遊ぶというよりは、面倒を見てあげるという方が近かった。そのうち私が思春期に入って、自分のことで手一杯になると、私は妹どころか家族ともあまり会話をしなくなった。その代わり、妹はよく家族に自分のことを話すようになっていった。やがて私の思春期は終わり、妹がその難しい時期に入っていったが、特に何か問題を抱えることもなく過ぎていったように思う。時が経てば会話ができるようになると思っていたけど、未だにその機会が訪れない。私が一方的に避けてるからだと思う。あるあたりからぼんやりと思い始めてきたのだけど、妹がクラスメイトで同じ教室にいたら、絶対に仲良くなれない。喧嘩したりとか陰口を叩いたりとかではなくて、違う世界の人だから極力関わりたくない、という気持ちだ。私のことは放っておいてほしいのだけど、妹は性格上、クラスみんなでやることに意味があるとか言うタイプの人だから、悪い人ではないことは確かだけど馬が合わない。それに、自分と同じような顔と体型と声と喋り方の人が目の前にいると、客観的に自分を見てるような気分になって気持ち悪くなる。変な声と喋り方だなとか、大してスタイル良くないなとか思ってしまうので、これは多分俗に言う「生理的に無理」という状態なんだと思う。それから、ある時期から、妹は私の上位置換なんだと捉えるようになってしまったために、家にいると私が勝手に辛くなっている。そう、仲が良くないのはほぼ全て私の気持ちの問題なのだ。意地を張ってるつもりはないが歩み寄る気もない。

そして妹がついに21歳になった。あたりさわりなく誕生日祝いのLINEをしたら、あたりさわりのない返事が来た。そのうち和解できるかもしれないし、和解できないままでいても仕方ないかな、と最近は思う。私が人生で初めて嬉し泣きしたのは1993年12月3日、産まれたと連絡があった朝8時過ぎのことなんだけど、その話をいつか機会があれば妹本人にしたい。機会がなければ別にいい。

 

転職活動は一旦辞めておいて、メンタルを整えるために実家に帰りたい旨を、明日ようやく両親に伝えようと思う。もしそれがダメなら、もう一度策を練り直さなくてはならない。